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やまはの雑ブログ

ファンタジーor純文学系小説を書きたいと思っている泡沫です。読んだ本、ゲーム等の感想や日々思ったことなど

オーウェル『1984』 抑圧、抵抗、監禁、そして…過去形

ちょっと前に話題になっていたオーウェルの1984(ハヤカワ文庫)を読んでみた。

 

なにやら本場イギリス(オーウェルはインド生まれのイギリス人)では『読んでいないのに読んだふりをしている本NO.1』という名誉なランクインを果たした小説だそうで。無理もない。戦後すぐに書かれて米国の赤狩りにも多大な影響を及ぼした名著、20世紀文学を代表するとまで言われている(そうです)この本を読んでいないというのが、プライドの高そうなイギリス人の羞恥心をくすぐるからでしょう(偏見)。名著だから、皆読んでいるからという生温い理由で本を選ぶべきではないと僕は思うのですけれども…!

 

内容:

『イングソック』という集産主義的な考え方を推す、『ビッグブラザー』率いる『党』の絶対的な権力が個人の行動を全て支配する超大国オセアニア。その一都市であるロンドンが舞台。

真理省(”真理”と言いながらやっていることは…)で働くウィンストン。彼のシゴトは、タイムズ紙や『党』のあらゆる出版物における、党が間違ったことを言っている記述を、「最初から党は何一つ間違っていなかったように」書き直し、歴史自体を修正することで党の誤謬を無かったものにすること。

 

『党』の3大スローガンは…

・戦争は平和なり

・自由は隷従なり

・無知は力なり

 

ウィンストンの日々の全ての生活、仕事、余暇、スポーツ、食事にいたるまでが党の管理のもとに置かれている。都市の至る場所に『テレスクリーン』と呼ばれるテレビ+電話のような送信機+受信機が置かれ、事細かに国民に指示を出す。それらに背いたものは、『思考犯罪』として党の思考警察に狙われ、蒸発させられる。

必要な物資は慢性的に不足し、チョコレートはボロクズのように崩れ、煙のような味がする。

このような生活をウィンストンは心中で潔しとせず、オブライエンという男を密かに彼と同じような『非正統的思考』(オセアニアでは党の意思に従わない考えをもつことをこう言う)の持ち主と信じる。また、党の性欲管理に反発するジュリアという若い女性と知り合ったことを契機にウィンストンはオブライエンの元に赴き、党の瓦解を目論む地下組織『ブラザー同盟』の一員ではないかと尋ねる。

オブライエンの指示の下に、かつてビッグブラザーと肩を並べ、今は反政府組織ブラザー同盟のリーダーと噂される『ゴールドスタイン』の著書を手に入れ読み始めるが……。

 

 

いわゆるディストピアものに該当する小説です。行動の自由、知識、思考がほとんど奪われた世界に居る主人公は、今の世界の生活が過去の世界に比べてより悪いかより良いか、という判断すらつかない。なぜなら、過去のすべての情報は、既に『党』によって操作され、現状に比べて恐ろしく劣悪なものとして記述されているに過ぎないから。

 

確かに恐ろしく救いようのない世界ですが、序盤から僕の関心を惹いたのは、世界の成り立ち、どうしてWW2の後の世界からオセアニアのような国家が樹立するに至ったか…ということでした。これは、ウィンストンが中盤で読む、ゴールドスタインの書いた『寡頭制集産主義の理論と実践』という書物に端的に描かれており、舞台設定としてとてもおもしろいものだと感心したほどです。

 

つまり…

世界大戦後、世界は3つの超大国、オセアニア、ユーラシア、イースタシアに統合、分割され、3大国は永遠に戦争…のまねごとを繰り返している。まねごとである理由は、3大国はそれぞれが強大すぎて、どんな戦略をもってしても互いが互いを打ち崩すことなど不可能だから。

じゃあなぜ戦争のまねごとなどをしているのか?

その理由が、大国の統治システムを維持することにある。戦争の目的は、領土の獲得や権益の拡大ではなく、もっぱらその社会構造を保つことにあったのだ。

 

劇中に出てくる『権力の目的は権力そのものにある』という興味深い言葉が、党の歪んだ存在をうまく表しているでしょう。『ビッグブラザー』はその逞しい顔だけが街中に貼られ、誰も彼に会ったことがない。誰も彼の過去を知らない。もしかしたら、改ざんされたタイムズ紙と同様、ビッグブラザーも存在を捏造された都合の良い人形かもしれない…とウィンストンは疑うわけです。

なら、なぜビッグブラザーという神輿を担ぐ必要があるのか? それは、権力は権力を保持することだけに心血を注ぐ、その理念に集約されてしまいます。ビッグブラザーが信頼できれば信頼できるほど、民衆は彼を愛し、党の基盤は盤石になる。

だから、ビッグブラザーはこの先何百年も生きつづけるのでしょう。

 

物語は最後、ある種感動的な幕閉じでもって終りを迎えます。

しかし、あとがきを読んで僕自身が最も感動し、畏怖を覚えるまで衝撃を受けたのはこの次でした。

 

物語が終わった後に載せられた小論文『ニュースピークの…』で、我々は観点の180度転換を迫られるわけです。

 

”『ニュースピークの…』は 過去形で書かれていた”

 

過去形であったということだけで、物語そのものの結末が示唆する事実さえ、まるっきり反対の方向に持っていかれようとする。

これはあとがき著者の分析なのですが、その分析に僕も舌を巻く思いです。

 

『ニュースピークの…』は、オーウェル自身が出版社に削除を求められても頑なに残した章であるというエピソードも持っています。オーウェルがこの無味乾燥とした小論文で表したことが、実は決して無味乾燥としたものではなく、彼の熱情を皮膚一枚隔てて隠し持った、本自体のエッセンスの現れとして見るのも面白いかなと感じたのでした。

 

最後に一言

大きな栗の木の下で~

仲良く裏切った~♪